スーパーボランティア
2021/10/25
日経夕刊の「人間発見」2021年9月27日から、ボランティア尾畠春夫さんが取り上げられていた。2018年、山口県の山中で行方不明になった2歳の男の子を無事発見し、「スーパーボランティア」として一躍有名になった。「私はスーパーでもデパートでもない、ただに尾畠春夫です」と言うが、記事を読めば、まさに人生を謳歌するスーパーマンだ。
家は貧しく、小学5年生の頃に農家へ奉公に出された。朝5時から夜中まで働いた。中学を卒業すると別府市内の魚屋で住み込みとなった。3年後に店の主人から山口県下関のふぐ市場の店を紹介されると、そこでふぐのさばき方を覚えた。さらに神戸の大きな魚屋に「当たって砕けろ」とばかりに店に飛び込み、それから4年間住み込みで働いた。笑いを絶やさない会話のコツや、経営に必要な実務も覚えた。とび職の仕事で資金を貯めると、ついに別府市に自分の店「魚春」を構えた。下ごしらえした魚が喜ばれ、店は繁盛した。65歳になると魚屋はきっぱりやめてボランティアを始めた。
尾畠さんの財産は、健康と、明るく前向きな性格だ。お姉さんが言った。「あなたは声が大きく明るい。人見知りもしないので魚屋になりなさい」。40代から始めた山登りでは、九州各地のほか、北アルプスも縦走した。鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで、100日かけて歩いたこともある。81歳になっても、朝4時頃に起きて8キロジョギングしている。
尾畠さんは、個人としての自己を確立してきた。人生設計は計画的で、ストイックである。魚屋としての腕を磨き、店を持ち、65歳になったらやめた。中学を出た時から働くのは50年と胸に刻んでいた。これまで多くの人たちに助けてもらってきた。今度は自分が社会へ恩返しをする番だ。感謝する気持ちが人生を輝かしている。
命ある限りボランティア活動をして、旅立ったら天国で先ず両親に会いたい。お父さんには「おやじ久しぶり、元気にしてたかい」と声をかけ、41歳で亡くなり甘えることができなかったお母さんには、「丈夫な体に産んでくれてありがとう」と飛びつきハグする。死んでからのことまで計画済みである。素晴らしき人生。見習いたい要素があふれている。