戦後80年
80年前の東京大空襲。アメリカ軍のB29爆撃機が東京の下町に大量の焼夷弾を投下して10万人が犠牲となった。広島の原爆では14万人、長崎の原爆では8万人、街は焼き尽くされ、市民生活をしていた人々が無差別に殺された。傷を負った人はおびただしい。なぜ戦争したのか。避けられなかったのか。
9月3日、中国では抗日戦争勝利80年を記念する大規模な軍事パレードが実施された。中国、ロシア、北朝鮮の首脳が並ぶ前を、新型の武器、車両、兵士の行進が続いた。中国国民はその威容を誇りに思い、士気は高揚したであろう。戦前の日本でも同じような高揚感に包まれていたに違いない。戦争に向かわせたのは軍人だけのせいではない。国民の世論に歯止めがきかずに戦争へとなだれ込んでいった。
80年前、無残にも形を留めない死体がいたるところに転がり、夏の暑い時季、腐敗も進んだことだろう。地獄のような状況の中で、人々は生きなければならなかった。戦争の悲惨さを忘れてはいけない、戦争体験を語り継いでいかなければいけないと言う。しかし、戦争体験がある人は年々少なくなり、やがて想像するしかない歴史になってしまう。これはどうにも避けられない。
人間は戦争を繰り返して、その悲惨さを反省してきたはずなのだが、賢くなっただろうか。ウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナの戦争、各地で悲惨な状況が続いている。人間は変わっていない、変われない。人のさがが変わらない一方で、科学や技術の進歩とともに武器の破壊力が大きくなっていくとなれば、いつしか人類は破滅する。
AIの発展により、現在ある仕事の多くがAIに取って代わられるという。政治の世界ではどうなるだろう。意地の張り合いを続ける独善で強権な政治家に任せるよりも、いっそのこと、平和な社会を作るように学習したAIに政治を任せた方が、安全、安心で平和な世界が実現できるのではないだろうか。
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