地下鉄サリン事件から30年

1995年3月20日午前8時ごろ、霞ヶ関駅を通る3路線5車両に猛毒サリンがまかれた。14人が犠牲となり、6千人以上が重軽傷を負う大惨事が発生した。警視庁がオウム真理教の一斉強制捜査に踏み込もうとしていた2日前だった。混乱により警察の動きを封じ込めようとするオウムにやられた。

麻原彰晃こと松本智津夫は、1984年に「オウム神仙の会」ヨガ教室を立ち上げた。1989年には、オウム真理教が宗教法人として認可されている。経済成長を遂げた当時の社会の中で、人生の意味を見失い、居場所を見いだせず、孤独を感じていた若者たちが信者となった。

麻原は、1990年2月の衆議院選挙に立候補するものの惨敗。その後、反国家・反社会の姿勢を強めていく。目指したのは、自らが王となり日本を支配する宗教的国家の建設だ。大量のサリンを東京上空からヘリコプターで散布、都民を大量虐殺し、武装した信者による国会や皇居の占拠、首都を制圧することを計画していた。まさに狂気。個人組織がここまでできるものなのか。それにより国家が転覆の危機にさらされていたとは驚きである。地下鉄で多くの犠牲者が出てしまったことは取り返しがつかないが、さらに大きな惨事が防げたことは幸いであった。

1995年5月、麻原は殺人容疑などで逮捕された。そして、2018年7月、麻原ら13人の死刑が執行された。

麻原とは何者だったのか。殺人をも正当化して人を脅し、財産を略奪し、極悪非道を尽くした。許されることではない。しかし、教団を立上げる意慾、教義を組み立てる構想力、多くの信者を惹きつけて組織する人心掌握力、教団施設を各地に展開する事業力、計画を進める遂行能力、と見ると、その能力はただ者ではない。どうしてその能力を人々の幸せのために活かさなかったのか。どうして異常な方向に発揮したのか。麻原は生来左目がほとんど見えなかったという。そのことにまつわる怒りなのか、恨みなのか。麻原から真相が語られることはなかった。

麻原に加担した若い信者たちにも、「なぜ」と思わざるを得ない。彼らは高い学歴を持ち、ひときわ純粋な若者たちだった。純粋だからこそまじめに悩み、迷い、何かを求めた。なぜこんな狂気の教団を信じ、行動したのか、惜しまれる。離れたところから、そして後になって見れば明らかに異常だと分かるものを、その時その場にいると見えないようだ。人間の心とは、なんと脆く、危ういものなのか。

以上